一応書いたけど、なんだか消化不良のまま放置されていたのでしが、本も実家に返してしまったのでそのままアップ。

ハリーポッターと死の秘宝・JKローリング

 完結!
 気持ちよく、児童文学としての最終巻でした。それだけに終わりが読めてしまい、スネイプのあたりとか最後の方とか感動しにくかった。(雌鹿には気がついてなかったけど、スネイプの役割は明らかだった)

 それでもやはりロンが戻ってきた時は嬉しかったし、ダンブルドアの人生には驚いたし、また日本語版の訳の違いとかに疑問を感じたり、スネイプの最後の台詞の一人称の違いが訳者グッジョブ過ぎとか、ネビルの成長ぶりに感激して声が出たり、ハーマイオニーの「あなたそれでも魔法使いなの!」にニヤリとしたり、ハリーの「一緒にいて」「最後まで」とか切な過ぎて泣けた。あれはホンモノの亡者なのかな…。ハリーが大事な人ってみんな死んじゃってるんだな。って思った。

 それに普通に本を読んでいて、ここまで主人公の周囲の「大人」達の人生が描かれたお話は見た事がない。普通はキーマンの数人の事情が紹介される程度だと思う。別にハリーの父親がいじめっ子だった事でスネイプがかわいそうか?と言われると、先生という立場にありながら、生徒を率先して贔屓したりいじめたりする彼がいい人間とは言えない。
 ダンブルドアの青年期の出来事だってそうだ。彼は完全なる善ではなかった。だからと言って、彼がやった事にケチがつくわけでもない。
 何故それを態々書いたのか? それが物語上必要か? ハリーが知る必要のある事柄か? 特段知る必要はないと思える。

 作者のJKRは、ハリーポッターという作品を通して「人はそうなった理由がある」という事が書きたかったのかな、と思った。全ての人間に善も悪もない。リドルですら、最後に後悔をすれば赦される(愛される)機会が与えられた。この世は不公平かもしれないけど、愛するものに、正しくあろうと努力するものに、身に合わぬ力や愛情を欲しがらぬものに、愛される、与えられる機会がもたらされる。そういうような事が書きたかったのかな。大人は不条理に思える事を言うかもしれないけど、それは彼ら大人のした経験からくる行動で、子供に酷い事を言ってるわけじゃないんだよ、というような。

 たまにハリーの思考が硬直したり変化したり物事の吸収が早すぎて、ついて行きかねる部分や、登場人物が多すぎて、人物関係をあまり理解しないまま読んでしまった部分があるので、機会があるならまたゆっくりと読み返したいな。
 7年かな? 楽しかったです。あとは来年に持ち越された謎のプリンスと最後の前後編を(自分的に今、映画は見に行けないのでラッキーだった)楽しみに、後少し物語りに浸れる時間を楽しみたいと思います。

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